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Makuake Magazine

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日本初のデニムは静岡・沼津で作られた!「ここがスゴイよ山本被服」4つのポイント

日本初のデニムは
静岡・沼津で作られた!
「ここがスゴイよ山本被服」
4つのポイント

2021年秋、わずか2週間で限定100着が完売したオーバーオール「スターオーバーオール」。Makuakeのプロジェクトページには、それはそれはインパクト特大の文言があった!

「大正12年に静岡で日本初のデニム製品が作られていたことを知っていますか?」

NO!というか、岡山じゃないの?と思ったのは我々スタッフも同じ。Makuakeで「初」を謳うものは根拠をしっかりと確認しており、記載のハードルがとても高い。一体どのような資料が提出されているのか……改めてチェックすると、昭和のはじめに出願された商標登録書が!資料の数もさることながら、それらが醸し出す歴史の重みったらもう。

時は流れ、2022年5月。件のプロジェクトの主役「山本被服株式会社」の新プロジェクト「親子で着れるオーバーオール」がMakuakeでスタート。強い興味を駆り立てられた編集部員は、ロマンを胸に静岡の本社工場へと向かった!

写真左から「STAR OVERALL」ディレクター 山本 陵氏(山本被服株式会社/取締役)、同開発マネージャー 富所 勢氏(山本被服株式会社/営業第一部 課長)、山口孝一氏(山本被服株式会社/工場長)、同プロジェクトリーダー 石井智洋氏(山本被服株式会社/刺繍室 デザイナー)

写真左から「STAR OVERALL」ディレクター 山本 陵氏(山本被服株式会社/取締役)、同開発マネージャー 富所 勢氏(山本被服株式会社/営業第一部 課長)、山口孝一氏(山本被服株式会社/工場長)、同プロジェクトリーダー 石井智洋氏(山本被服株式会社/刺繍室 デザイナー)

POINT 1

まるでドラマ!
夫を追いかけアメリカで起業したスーパーウーマン

まずは、創業のストーリーをざっくりと紹介!

創業当時のイメージ

1911年(明治44年)、牛馬を売り買いして生計を立てていた山本家は台風で全財産を失った。大黒柱である彦太郎は途方に暮れ、L.A.で炭鉱夫となることを決意。家族を残し、単身アメリカへ。
毎月届いていた送金が滞り始めると、夫の安否を心配した妻・ゑきは、自身も渡米を決断。船で1ヶ月をかけ、ようやくたどり着いたL.A.で見たのは、現地の生活に慣れず仕事にも身が入らない彦太郎の姿。

生来しっかり者で働き者のゑきは、夫を励まし、自身も洗濯婦として精力的に働き始めた。慣れない異国の地で、力を合わせて働くこと10年。ゑきは、炭鉱夫の作業着「オーバーオール」に着目し、作り方を学んで再現した。現地の炭鉱夫から徐々に評判となり、人気ブランドに。1923年(大正12年)、STAR OVERALL MFG CO.を創業し、日本人が始めたデニムブランド「スターオーバーオール」が誕生した。

3年後、夫婦はデニムづくりの技術を手に帰国。静岡県沼津市にて作業服製造販売会社「合資会社山本被服製造所」を創業した。

作業服製造販売会社「合資会社山本被服製造所」

これはもう映画やドラマでしか見たことのない物語。でも、ノンフィクション。送金しない夫を追いかけ、単身で1ヶ月かけてアメリカに渡ったゑきさんのたくましさよ……。

富所さん

「とにかく、全てのキーはゑきさんなんです」と話すのは富所さん。「第二次世界対戦の空襲時、ゑきさんは一台のミシンを急いで袋に詰めて池に沈めたらしい。工場は全焼し、機械や製品はすべて焼かれてしまいましたが、この一台だけが残りました。きっと、L.A.にいた頃にこれを使って練習していたんじゃないでしょうか。なんとしても守り抜きたかったのかな」

1910年、米・ニュージャージー州製。空襲を免れた“奇跡のミシン”は、今も大切に工場長がメンテナンスをしている。
1910年、米・ニュージャージー州製。空襲を免れた“奇跡のミシン”は、今も大切に工場長がメンテナンスをしている。

1910年、米・ニュージャージー州製。空襲を免れた“奇跡のミシン”は、今も大切に工場長がメンテナンスをしている。

山本さん

山本さんは創業者夫婦の玄孫(やしゃご)に当たる5代目。「ひいひいおばあさんは、ミシンで作業をしている最中に亡くなったと聞いています。最期まで職人でした。かなりの働き者だったんでしょう」

中央で帽子を被っているのがゑきさん。写っている女性のほとんどが和装の中、一人だけ洋装で帽子をかぶっているのもハイカラ。

中央で帽子を被っているのがゑきさん。写っている女性のほとんどが和装の中、一人だけ洋装で帽子をかぶっているのもハイカラ。

編集部 田中

編集部 田中

「夫を追いかけて渡米し、自分も働きながらアメリカで起業。凄まじいよ、強いよ、ゑきさん……。空襲時にミシンを池に沈めたことにも『こんなところで終わってたまるか』という意志の強さを感じました!」

POINT 2

商品開発のソースは、常に100年前の資料
限られた情報から想いを繋ぐ

まずは写真をどうぞ!

オーバーオールだけでなく、ジーンズもv製造していたことがわかる。
オーバーオールだけでなく、ジーンズもv製造していたことがわかる。

オーバーオールだけでなく、ジーンズも製造していたことがわかる。

失効した商標など社内外に散らばるエビデンスの発見に苦労したと話す石井さん

失効した商標など社内外に散らばるエビデンスの発見に苦労したと話す石井さん

写真を見ているだけで面白い……!貴重すぎる一部の資料は金庫に残っていたんだそう。

実は同社は創業時こそオーバーオールを製作していたが、高度経済成長期の社会変化にあわせ、一般の作業服、制服メーカーとして生まれ変わり、今に至っている。

現在のスタッフは誰もオーバーオールを作ったことがない。現物もない。あるのは、当時の写真と簡単なメモだけ。「多分こうだったんじゃないか?」と想像するしかない。

当時販売していた商品パンフレット

今回の「親子で着れるオーバーオール」は、当時販売していた商品パンフレットの中に子どもの写真を見つけたことがきっかけになっている。

「気が早いですが、次はカバーオールを作りたいんです。オーバーオールを単体で着ることに、少し照れ臭さを感じる方もいる。カバーオールを羽織れば、みんな着れると思うんです。もちろん単品でもカッコよく着れますよ」

そう言いながら富所さんが指差した古い資料には、カバーオールを着た先人の姿。

「商品のソースは常にこれらの資料です。そこは変えずに、流れを汲みたい。あれやこれや再現したいものばかりですね」

当時販売していた商品パンフレット
編集部 米谷

編集部 米谷

「『売れるモノを作る』という考え方であれば、何を作るかの選択肢は他にもたくさんある。でも、商品のソースはあくまでも残されていた資料。100年前に想いを馳せ、想像し、現代に蘇らせる。単純なモノづくりじゃないんだよな〜」

POINT 3

専務から聞いた創業秘話
いつか実現したいと思った18年前の入社初日

なぜ、100年前の製品を再現しようと思ったのか?

「入社初日に専務(現社長)から古い写真を見せてもらいました。日本初のデニムメーカーと聞いて、すごい!と衝撃を受けたんです。僕のようなおじさんって、こういう話が大好物。100年前のモノが今あったら、そんなのカッコいいに決まってる。それだけのこと。いつか再現したいとずっと思っていました」

社内から冷ややかな目線を感じることもあったが、ただただ想いを形にしたかった。

一方、オーバーオール作りを依頼されたのは工場長の山口さん。御年70歳。相談を持ちかけられた当時の第一印象は「馬鹿なこと言うんじゃないよ!」だったとか。

工場長の山口さん

“本業”で忙しかったこともあるが、それよりも納得できなかったこと。それは「粗く縫ってほしい」という依頼。

「縫い方が粗いほうがカッコ良かったりもする。でも、現場の方はいつもの癖でキッチリ縫ってくれる。粗くやってくれと伝えても、私たちはきれいに縫えるんだからこれでいいじゃないか!と。プライドですよね」(富所)

「でも、今回の子ども用オーバーオールができた時は自慢げに『どうだ?かわいいだろ?』」って言ってたんですよ(笑)」(石井)

常にぶつぶつと小言を発していたみたいですが、きっと工場長は新たなチャレンジを楽しんでいらっしゃったはず。過去を振り返る顔を見て、私たちはそう感じました。

「こんなに細かく縫える技術があるのに粗く縫えだなんて!」と笑いながら見せてくれた切れ端

「こんなに細かく縫える技術があるのに粗く縫えだなんて!」と笑いながら見せてくれた切れ端

同社は海外にも工場を持つが、スターオーバーオールは国内工場での製造にこだわっている
同社は海外にも工場を持つが、スターオーバーオールは国内工場での製造にこだわっている

同社は海外にも工場を持つが、スターオーバーオールは国内工場での製造にこだわっている

工場の様子
工場の様子

ちなみに、粗く縫ってほしい富所さんと、きれいな縫い目こそ職人の技と考える山口さんの溝は現在も埋まり切ってはいないご様子(笑)。

届いた製品に粗い縫い目を見つけたら、二人のプライドを懸けたやりとりをぜひ想像してみて!

富所さんと山口さん
編集部 米谷

編集部 米谷

「今では、若いスタッフの方がオーバーオールが掲載された雑誌を持ってきてくれるなど、潮目の変化を感じているそう。私たちが訪れた際もみなさん元気に挨拶をしてくださり、オーバーオールをきっかけに現場の士気が上がっているんだなと感じました!」

POINT 4

「私たちはユニフォーム屋さんなんです」
込められた深い想い、街ヘ広がるオーバーオール

同社を訪れるまで、ユニフォーム=制服とばかり考えていました。でも、彼らにとっては子どもとお揃いのオーバーオールだって立派なユニフォームなんです。

「私たちにとっては、親と子が一緒にキャンプに行く時のユニフォーム。年に一度の家族の思い出作りにも役立てられるんじゃないかなと考えました」(富所)

経営理念の額

「経営理念の二番を見てください。あくまでも私たちはユニフォーム屋なんです。お揃いのモノを着ることは、共通意識につながる。そもそも『uni』はラテン語で『一つ』という意味。ユニフォームによって意識を一つに揃える。同じ体験をするときは同じモノを着て、価値観を最大化する、その一助になれば」(山本)

山本さんと富所さん

そうそう、富所さんにはこんな嬉しい出来事もあった。

「私自身キャンプはやりません。小学校5年生の娘もどちらかというとインドア派。でも、このオーバーオールを作ったら、子どもが着てくれて一緒に外へ出かけてくれました。そろそろ親離れが始まる時期だと思うのですが、このオーバーオールのおかげでまだしばらくは大丈夫かな(笑)。やっぱり、僕たちが作っているものは、常に『ユニフォーム』なんです」

富所さん親子
編集部 田中

編集部 田中

「ロマンから始まったプロジェクトもちゃんと本業のユニフォームに繋がっているんですね。制服って堅苦しいイメージがあるけれど、みんなを一つにまとめるパワーがあると感じました!」

来年、創業100年を迎える山本被服株式会社。
最近は、街のイベントにはいつもオーバーオールを持って参加しているそう。地元が「デニムの発祥地」と聞くと、みんなが必ず足を止めて話を聞いてくれる。スーパーウーマン、ゑきさんから繋いだ新生スターオーバーオールがこれから沼津の「ユニフォーム」として広がっていく未来を感じる一日となりました!

※本文中の写真は全て撮影時のみマスクを外しております

執筆・編集:田中絢子、米谷真人
撮影:江口航治

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