正式名称を「三縁山 広度院 増上寺」と称し、明徳4(1393)年、浄土宗第八祖酉誉聖聰上人により江戸貝塚(千代田区平河町辺り)に創建されました。慶長3(1598)年、現在地に移転し、江戸期には家康公の手厚い保護もあり、徳川将軍家菩提寺として二代将軍秀忠公をはじめ6人の将軍の墓所が設けられ、壮麗な霊廟群が境内の南北に建ち並んでいました。また関東十八檀林の筆頭として、最盛期には三千名の僧侶が修行に励む大寺院へと隆盛を極めました。その後、苦難の明治大正期を経て、戦災では霊廟群を含む伽藍の多くを焼失しましたが、わずかに残った建物を後世に伝え、諸堂宇を整備し、文化活動の拠点として親しまれています。