ストーリー
- 『博多祇園山笠』3年ぶりに完全実施へ。祭りの警備費やPR、後継者育成のためにエールを!
- 博多祇園山笠は江戸時代の地元民のいたずらから始まった祭り?!祭りの由来や成り立ちを紹介
- 15日間もの開催される祭りの中身とは、白熱する祭りを最も楽しめるポイントも紹介

「山笠のあるけん博多たい!」―。この威勢のいいフレーズが、福博の街に再び響き渡ります。新型コロナウイルスの影響で延期されていた博多の夏祭り・博多祇園山笠の舁(か)き山が、3年ぶりに行われることが決定。飾り山笠も含めコロナ禍前の本来の絢爛豪華で勇壮な祭りが返ってきます。
疫病退散祈願で始まり780年以上続く博多祇園山笠。中でも舁き山笠は七つの流の男たちが法被に締め込み姿で、人形師たちが競って制作した博多人形を飾り付けた山笠(重さ約1トン)を、次々と舁き手が交代しながら博多の街を疾走する勇壮な行事です。クライマックスの追い山笠には例年7千~1万人が参加し、櫛田神社(福岡市博多区)の清道を回る「櫛田入り」を披露した後、博多の町を舁きまわります。

舁き山笠の復活でようやく本来の姿に戻った博多祇園山笠ですが、さまざまな課題があります。少子高齢化など、地元に住んでいる参加者の減少もさることながら、コロナの影響もあり沿道警備、感染症対策など大きな負担が増えてきているのが現状です。
この課題解決の一助にと、博多祇園山笠事業委員会(博多祇園山笠振興会と福岡市、福岡観光コンベンションビューローで構成)はMakuakeに挑戦することにしました。
グローバル化する時代の中、ユネスコ無形文化遺産にも登録された博多祇園山笠。山笠の振興とともに、後継者育成など多角的なサポートには、みなさんの力が必要です。伝統文化を継承していくために、世界のどこかで、日本のどこかで、あなたも「オイサー!」の山笠の掛け声をあげてください。
【博多祇園山笠「男たちの夏祭り」1分版】
福岡チャンネル by Fukuoka city

博多祇園山笠の起源については諸説ありますが、鎌倉時代の1241(仁治2)年、博多(津)で疫病が流行した際、博多・承天寺の開祖・聖一国師が施餓鬼棚(せがきだな)に乗って祈祷水をまいて防疫に尽力した、という説が広く語られています。のちに神仏混交の時代となり、疫病・災害の除去を願う祇園信仰と結びつき、櫛田神社の奉納神事となって今日にいたります。
祭りのハイライト・追い山笠。1687(貞享4)この年の正月、恵比須流に嫁いだ土居流の花嫁が、花婿と一緒に里帰りをしたところ、土居流の若者が余興として花婿に若水用の桶を被せるなどしました。これに怒った恵比須流の若者が押しかけ一触即発に。恨みが残っていた恵比須流の男たちは夏の山笠のとき、昼食を食べていた土居流の山笠を追い越そうと走り出し、驚いた土居流も負けてはならじと走ったといいます。この”競走”が評判になり、翌年の祭りから休まず前の山笠を追う形になり、やがて「追い山笠」と呼ばれるようになりました。

博多祇園山笠が行われるのは、豊臣秀吉の九州平定後の町割り(戦後復興都市計画)で「博多」といわれた地域と、その東西の川向こうの「千代と中洲」の地域です。10程度の町が集まって1流とした、いわば町の自治組織から形成されています。

舁き山笠は7つの流ごとに1基作られます。一方飾り山笠は商店街などに通常14基設置され(今年は13基)、豪華絢爛の夏祭りを競い合っています。尚、しきたりや行事などはそれぞれ異なります。











引き込まれる山笠の魅力


山笠のフィナーレを飾る7月15日早朝の追い山笠が祭りのハイライト。どんなところから見物するかで、祭りの楽しみ方も変わります。
櫛田入りとなるスタート地点では、舁き手たちのピリピリとした空気や緊張感が見どころといえます。櫛田神社内の桟敷席では、スタートした舁き山笠が太鼓の音とともになだれ込み、男たちの「オイサ!オイサ!」という勇ましい掛け声でにぎわいます。東長寺や承天寺の門前も人気があり多くの人が観覧します。落ち着いて広い場所で見たい場合は、博多のメインストリート・大博通り呉服町の交差点がおすすめです。アスファルトを駆け抜ける男たちの勇壮な姿を楽しむことができます。ゴール地点は、舁き手が最後の力を振り絞り、唸るような掛け声とともに駆け抜けていく姿も圧巻です。
※2022年は沿道での舁き山笠観覧は控えていただくようお願いいたします。


7月15日の追い山では、それぞれの山笠が神社境内に建てられた清道旗を回って境内外に出るまでの「櫛田入り」のタイムや全コース5キロメートルの所要時間を計っています。全流とも早く走りたい、という気持ちは強いものの、山笠の重量、舁き手の数などにも違いがある他、前を走る山笠に追いついても追い抜かないなどの慣例もあり、タイムレースではありません。なんといっても、男達が一致団結して山笠奉納ををしたいという心意気が見どころなのです。
山笠に熱中することを「山のぼせ」といいます。「のぼせ(る)」とは、博多弁で「熱中する」という意味です。山のぼせの人々は、長法被姿で、ビジネス街のど真ん中でも闊歩しています。なぜなら山笠期間中は、これが正装だからです。暮らしている町ごとに作られた法被は、その町の誇りを象徴しています。
山笠を舁く男たちは、常に緊張しています。重さ約1トンの山笠を舁くので、瞬時も気を許すことは危険を伴うため、山笠期間中は精進潔斎(しょうじんけっさい)します。輪切りにしたキュウリが山笠の祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神紋と似ているので、山笠期間中はキュウリを食べないというのも、精進潔斎の一つです。

山笠に熱中することを「山のぼせ」といいます。「のぼせ(る)」とは、博多弁で「熱中する」という意味です。山のぼせの人々は、法被に締め込み姿で、ビジネス街のど真ん中でも闊歩しています。なぜなら山笠期間中は、これが正装だからです。暮らしている町ごとに作られた法被は、その町の誇りを象徴しています。

山笠を舁く男たちは、常に緊張しています。
重さ約1トンの山笠を舁くので、瞬時も気を許すことは危険を伴うため、山笠期間中は精進潔斎(しょうじんけっさい)します。輪切りにしたキュウリが山笠の祭神である素戔鳴(すさのおのみこと)の神紋と似ているので、山笠期間中はキュウリを食べないというのも、精進潔斎の一つです。
「山のぼせ」になると、仕事でも融通を利かせます。有休休暇をまとめて取ったり、早退したりして、山笠に集中します。福岡県外や海外に転勤している人も長期休暇を取り、山笠期間には博多に駆けつけます。

また博多中学校・千代中学校(福岡市博多区)では、山笠期間中は生徒が参加しやすいような授業のカリキュラムを組んでいます。
「山のぼせ」は、山笠に参加する人たちにとどまりません。昭和29年の追い山笠の日、櫛田神社に近い中洲の映画館が14日の深夜から15日の早朝に合わせてオールナイト上映を実施したところ、営業売上が予想を大きく上回りました。
これを機に翌年からあらゆる業種でオールナイト営業が行われるようになりました。この営業形態が、日本中に広まっていきました。

山笠は7月1日から15日までの期間、さまざまな行事が執り行われます。

祭り初日に舁き山笠の流区域を清める行事。町の角々に笹竹を立て、注連縄を張り、竹で作った”素朴”な御幣を添えます。櫛田神社神官が祝詞をあげ、期間中の安全を祈願します。恵比須流だけは一ヶ月早く、六月一日に実施。これは明治中期まで旧暦でお祭りをしていた名残です。

山笠に神を招き入れる神事。商店街などに建つ飾り山笠が先行します。櫛田神社の神官がスケジュールに沿って各山笠を回って催行。これが済むと、山笠は一般に公開され、祭りらしい雰囲気となります。一方の舁き山笠のご神入れは6、7日頃行なわれます。

その年、各流の当番長になっうた町の面々(流当番のところは流役員)が、一足先に箱崎浜まで駆けて行き、汐井(真砂)を小さな升やテボ(竹ヒゴで編んだかご)に入れて持ち帰る。むろん、はっぴに締め込み姿である。

1日の夕方の当番町お汐井とりと種子と行動はほぼ同じであるが、各流の舁き手が揃うため圧巻。各流ごとに午後6時から7時過ぎにかけて箱崎浜に到着し、沈む夕日に柏手を打って安全を祈願します。

いよいよ舁き山笠が登場。それぞれの流区域内を舁き回ることからこの名がつきました。舁き出し時刻は流ごとに異なります。コースも年によって異なり公式発表も行わないので、事前に流関係者に聞くしかありません。細い路地まで舁き入れるので、この祭りが地域に深く根差したものであることがわかります。

これも流舁きであるが、早朝に町総代や旧役員を呼んで接待するところから祝儀山とも呼ばれます。招かれた総代らは帷子(かたびら)に角帯を締めて出席。台上がりは白麻の半纏(はんてん)を着用するのが慣わしです。また、当番長の子どもたちもこの日だけは山笠の「杉壁」内に乗せてもらうことができます。

1日2回舁くのはこの日だけ。流の外に出るところからこの名となっています。櫛田神社の清道を回る「櫛田入り」の練習をする流もあります。

文字通り追い山笠のリハーサル。一番山笠から順次「櫛田入り」して奈良屋町角の廻り止め(ゴール)までの約4kmのコースを全力で舁きます。一番山笠は追い山笠同様、「櫛田入り」の際、山笠を止めて「博多祝い唄」を歌うことが認められています。「櫛田入り」「コース」とも所要時間を計測します。

福岡市の要請で昭和37年から始まりました。当初は昭和通りで行なわれていたが、昭和58年からは明治通りの呉服町交差点~天神(福岡市役所)間約1.3kmが「舞台」となっています。この日に限り、知名士が台上がりを務め、棒さばき役の各流総務ともども舁き手を叱咤激励します。

未熟な舁き手にとっては、その年、山笠が舁ける最後のチャンスでもあります。追い山笠では、慣れた若手やベテランの舁き手が交代で山笠に付くためです。「櫛田入り」の練習をする流もあります。

大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」。その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁きます。「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測。櫛田神社の能舞台では午前6時から荒ぶる神様に捧げる鎮めの能が演じられます。

博多祇園山笠をもっと知りたい、学びたいという皆さんには長谷川法世さんの漫画「博多っ子純情」がおすすめ。小説などでは、なかなか表現しにくい山笠の心意気、感性などの表現が、博多の日常・暮らしとともに活写されています。博多出身の芥川賞作家・岡松和夫さんの小説『鉢をかずく女』の冒頭は山笠の山解き(山崩し)などがからまっています。
山笠期間中には、櫛田神社「博多歴史館」、福岡市博物館や博多町家ふるさと館などで、山笠に関しての企画展示もあり、訪ねてみるのもいいでしょう。


「2年間、山笠ができなかったがモチベーションが下がったというよりも、待ちに待った山笠ができるので、今年こそは何が何でもやらないかんという気持ち。令和4年博多祇園山笠行事 新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドラインを守りながら、力強い千代流の山笠をやりたい。」

「山笠は生まれてすぐから出とります。山笠は生活の一部、あたりまえのことです。人間のタテ関係がきっちりしていて社会人にとっても勉強になります。私の会社の面接では、山笠に参加するのを採用の条件の一つにしていました。コロナ禍ですが、山笠をせないかん、という気持ちで、より多くの人が山笠を舁いてもらえるように声もかけています。」




山笠冊子は「博多祇園⼭笠」をまだ知らない全国の皆様へ知っていただく為、⼭笠の起源や今⽇までの歴史、⾒学スポットなど、「博多祇園⼭笠」のあらゆる知識が満載です。迫⼒ある舁き⼭笠の様⼦や、各地域別に分かれた豪華絢爛な飾り⼭のご紹介など、「博多祇園⼭笠」の魅⼒がたくさん詰まった冊⼦をお届けいたします。

漫画家で博多町家ふるさと館の館⻑でもある⻑⾕川法世さんがデザインした令和4年の記念の手拭いと扇⼦をお届けいたします。

こちらのコースにて寄付いただいたサポーターの⽅々について、感謝の意を表して「博多祇園⼭笠」の公式サイトへお名前を掲載させて頂きます。
※公式サイト:https://www.hakatayamakasa.com/
※掲載保証期間:掲載日より1年間
※掲載するお名前は10文字以内、公序良俗に反するもの、機種依存文字は掲載できません。
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皆様よりご寄附いただきました貴重な資金は、博多祇園山笠を実施する際の運営にかかる費用の一部に充当させていただき、後世へ博多の伝統文化を継承していきたいと思います。


780年以上の歴史を有し、ユネスコ無形文化遺産にも登録された日本を代表する祭りである「博多祇園山笠」を後世へ繋いでいくため、今回、プロジェクトを実施いたします。
今年の山笠は、新型コロナウイルス感染防止のため、観覧はお控えいただくようお願いいたしますが、全国のご自宅から、テレビの放送やライブ配信でご覧いただければと考えております。
この機会に、絢爛豪華な飾り山笠、勇壮無比な舁き山笠などの祭りの魅力を皆様に知っていただき、「博多祇園山笠」へのご協力をお願いいたします。
どうか、この素晴らしい博多祇園山笠を後世に継承していけるよう、皆様の御協力・御支援を賜りますよう切にお願い申し上げます。
リスク&チャレンジ
新型コロナウイルス感染拡大防止の為、行事が縮小になる場合がございます。 また、物流等の事情や応援購入の性質上、リターンの配送が遅れる可能性がございます。 予めご了承頂けますと幸いです。(本文中に記載させていただいたスケジュールは、プロジェクト公開時点の予定です。) 原則として、配送遅延に伴う応援購入のキャンセル不可となりますが、配送予定月から6ヶ月を超えた場合は、希望者に限りキャンセルにて対応させていただきます。
サポーターからの応援コメント
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