2000年にインディーズレーベルを立ち上げ、
自主レーベルでオムニバスアルバム11枚、
単独アーティストのリリースで8枚、
全64組にも及ぶアーティストの音源プロデュース、
発掘・育成に至っては約1000組以上に及ぶ
全く無名であったアーティストや
初心者レベルから関わったアーティストを
O-EAST、渋谷AX、ZeppTokyo、
渋谷公会堂などの大会場への出演を
可能にするまでに押し上げた。
雑誌 Pleyerの編集長で、
高校からの盟友である北村和孝に
「クラさんが埼玉県南の音楽シーンを
底上げしたのは間違いない」
とまで言わしめるまでになる。